決断への至る道
少し前に粘り負けというタイトルで書いたけど、その続き。
ふと思ったけど、迷いが生じたということは、
単純に決断が出来るだけの経験、体験がなかったってだけというシンプルな仮説がたった。
もし、仮に粘り負け事件の前に同じようなことがあって迷っていたのならば、また違った結果になっただろうし、なかったから負けたんだなと腑に落ちた。
負けた負けたとかいってるけど、言い負かされた!損した!
くやしいいいいいって訳じゃなくて、
流されたまま事態が動いてしまったことと自分の決断が出来なかったことを便宜的に負けたと表現してます。
所謂自分に負けたということです。
次同じような出来事になったとき自分がどういう対応をするのか?
楽しみだったりします。
また自分に負けるのか
はたまた違う対応をするのか。
次は如何に!?