2015年春アニメ総括③食戟のソーマで見る現代とそれから
食戟のソーマは久しぶりにアニメを見てから原作を読んだわ。
それくらい面白いアニメというのは確か。
今はちょうどアニメは合宿編?だったかな。
素直に言うと
遠月学園KOEEEEE!!
どんだけ退学させんねん!!
ソーマとその周辺のキャラクターはまぁ落ちる可能性は少ないから
そこまで恐怖感はないんだけど、
モブの恐怖をアリアリと感じてしまい、身の毛がよだつ気分になった。
ホンマに才能ありきで努力は当たり前でそれでも無理なら脱落~~
というのはシンプルでありながら残酷。
中等部までの準備期間があったのだけど、脱落していったモブ達はどういう心境だったのだろうか??
なんとなく落ちなかった人たちというのは良くも悪くも落ちることは考えなかったんじゃないかな?と思う。
自分は絶対に落ちないから大丈夫だろうという無根拠な考えというよりは、
落ちる落ちないより更に難しい何かを目指していたが故に、
その難しい何かのほうが落ちるという結果より高かったが故に
落ちなかったというだけのように思う。
ソーマ達を見ていると。
その辺は田所を見ていると分かりやすいんじゃないかな?
そう考えると、落ちたモブというのは
自身の想定している何かが遠月学園の基準より下だったから落ちたともいえる。
想像の限界が才能の限界と考えればある意味妥当っちゃ妥当な気もする。
こう考えると落ちるモブのパターンとしては
そもそも自分のハードルが低かった。→才能の限界
あとはもう一つ
努力の方
才能はあってもそれを実現できる努力をしなかった/出来なかった。
しなかったというのはとりあえず、ご愁傷様ということなんかな?
ある意味ではしなかった。も自分のやりたいことにどれから手をつけたらいいのか分からなかったと解釈すれば情状酌量の余地はあるっちゃある。
努力の方にも才能というものをつけるとしたら
やれるということも才能なんでしょう。
自分の経験から言えば、自分の才能ある部分を評すると、ごく自然にやってるからどうやるか?とかいうのは更々考えていない。というのが実態。
という天性のパターンと後は設定の問題でもあるパターン。
理想を一気にやろうとするから潰れちゃうパターンね。これは
自然に~よりかは些か希望があるね。出来ないから諦めろってのは少し酷だ。
あ、ドンドン細部に目が向かって結局何が言いたいか分からなくなってきたので、話を戻す。
俺がソーマを見て思い浮かんだのは実力社会という言葉。
あ~これからこういう時代が来るのか~
むしろ来てるのか。
むしろ気付いたのは遅いかもしれない。
この漫画が早いのか?遅いのか分からないけど、こういう世界になっている
漫画は時代を表した鏡。時代にあったものが売れるというし、
意識的か無意識的かこの食戟のソーマという漫画が売れているということは
そういうことなんだろう。
今までは一部の社会でしかなかった部分が、一般的になるのが今後ということ。
なればこそ自分がどういう所に身を置くのかが大事になってくるだろう。
あくまで世界というものを主体にした場合。
食戟のソーマというマンガは非常に勉強になる漫画だと思う。
じゃあ世界を主体にしない場合もあるのかよ!
という話はまた後日。
はい、また予定が崩れてアニメが語れなかったよ!!
次回は純粋にソーマの感想と脱落したアニメを書く!!(予定)
じゃん!