優しさの特徴。
最近ブログ復帰したけど、久しぶりに書くと鈍ってるわw
まぁ伝えたいことがまとまらない汗
これも思いついたまま書いてるから、まとまりはないんだけど、
ちゃんとした奴はちゃんとしたい時に書くわ!
ということで、優しさについてちょっと話したいこと。
まぁそも、物質でも、言葉でも性格でもなんでもいいんだけど、いい面と悪い面というのがセットになってて、だから一方的に良い悪いの話ではなくて、これってこういう性質してるんじゃね?という話。
優しさというのはズバリどういった性質を持っているのか?
一つの特徴としては、受けいれるということ。が挙げられる
何かを、どれだけ、無条件に
許すと言ってもいい。
で、受け容れる量には限界があるということ。
これを最近思い知った。
いや~びっくりしたね。
何でもかんでもええよええよで過ごしてたら本気で首が回らなくなったもんね。
頼まれ事、誘われる事。その他諸々。
自分の時間がナッスィング過ぎて久しぶりに心が折れた。
おかげで受け容れるには限界があるっていうのと、
かの家元、5代目立川談志の「優しさは侵略される」という言葉を身にしみて実感。
とまぁ、前置きはさておき。
ここからが本題。
また違った視点で、
そも優しさというのは、なぜ起きるのか?
なんでも受け入れ””られる””ということは一体全体どいうことなのか?を考えた所。
これは優しさのある意味悪い面でもあるんだけど、
優しい人って断るってのが苦手という印象がある。
何で断るのが苦手かってーと、特に断る理由もないから。
どっちでも良いから、受け容れる。というパターンから着想を得て
なんで特に断る理由がないのかなと考えたら。
自分の価値基準を持ってないから
ってものあるんじゃないかな?ってのが今回の発見。
受け容れる基準を設けてないから、なんでもかんでも抱え込んでアボン
ってパターンもあるんではないかと。
価値基準を持っていたら、あれは断って、アレは受け入れなくてってのが出来そうってな訳で、最近は色々自分の基準を作って優しさを限定するようにしてます。
自分は何を無条件に受け入れて、何を受け入れたくなくて、とかね。
この理論からいくと反対に自分を優しくないって思っている人がいるならば、その人は価値基準を持ちすぎているのかも。
いや、価値基準が固まりすぎてるって言ったほうが適当か。
優しさという言葉を、価値基準を使って、少し具体的にしてみた話でした。